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子安観音

お寺建立の時以来の古い観音様で参道正面にお詞りされており、安産・子育ての観音様として信仰されてきました。普段は秘仏ですが、江戸時代には御開帳が行われた記録が残っています。戦前までは、毎年8月17日にお祭りが行われ夜店が並び、にぎやかな夏の風物詩の一つでした。 現在でも毎月17日にはご祈祷が行われています。

 

 

関所稲荷

本尊は茶吉尼天(だきにてん:狐の背に跨った像が、剣と宝珠を持っている)。 年度不明で天和2年(1682)以降要所稲荷と称されました。
旗本・土屋主税が天和2年8月8日朝鮮よりの使節団来訪の折、幕府により新居関所の御加番役(朝鮮の使節団を船で対岸まで渡す奉行)を命ぜられた時、要津寺鎮守稲荷大明神の霊夢により、家老・天野右衛門、尾川杢衛門、尾川勘衛門に命じて、関所北屋敷に社宇を建立し手篤く信仰しました。近郷の人々や街道往来の旅人も安全と商売繁盛を願い参詣し、常に門前市をなしたと伝えられています。その後、要津寺に遷座した後も茶店軒を並べ見世物興行常に絶えず、以来200有余年新居宿の繁盛を守って人々に尊崇されました。明治維新後関所宿場の廃止と共に当社も参拝者が日に日に衰え荒廃するに至りましたが、明治42年要津寺を神宮寺に合寺、関所稲荷も境内に遷座しました。大正4年新居駅が開設され、駅を中心に国道が開通し新居弁天と共に、再び昔日の繁栄をみるに至り、町の盛衰と最も因縁の深い関所稲荷の再興の声が高まり、昭和3年秋に有志の浄財により、神宮寺境内に再興しました。更に昭和26年浜名湖県立公園の設立に伴い、西山公園富士見台に再建し、永く郷土の繁栄の守護神として鎮座されましたが、浜名湖県立公園の設立計画は廃案となり、歳を経るにしたがい参道も崩れ、参拝も困難な状態になり稲荷堂も荒廃し今日に至っています。 尚、土屋主税は忠臣蔵で有名な吉良上野介の隣に住み、赤穂浪士が吉良邸討ち入りの時、高提灯で堀越しに邸内を照らして武士の本懐を遂げるのを見守った人物、と伝えられています。

 

 

鯖弘法大師

この弘法様は片手に魚をぶらさげ、昔から「鯖弘法」と呼ばれ新居宿の高見町にお詞りされていましたが、戦後、神宮寺に移転され現在に至っています。新居は昔から漁師町でありその関係が考えられます。 弘法大師(774〜825)は日本全国にいろいろな伝説が伝えられていますが、新居町にも弘法大師伝説が二つあり、その一つに「足洗田」という地名が内山にあります。昔、弘法大師がこの辺りを通りかかり、内山の田の近くで旅の疲れを癒すために足を洗ったと言い、それ以来その田にはコンコンと清水が湧き出て絶えることがなかったと言われています。もう一つは、弘法大師が浜名湖の近くを歩いていると、道端に腐った鯖が捨ててあるのを見つけて、「可哀想にもったいないことをする」と言って、この鯖をそっと海に入れると、すでに腐って身の落ちそうになっていた魚がスイスイと泳いで沖の方に消えていったそうです。どんなものでも粗末にしてはならないという教えから、鯖弘法を町の中心に作ったとされています。

 

 

剣持弘法大師

非常に珍しい剣を持った弘法大師が祭られており、昔から縁切れ弘法と呼ばれ人々の信仰の対象となってきました。又弘法大師は、濱名湖岸新四国八十八ケ所の霊場の六十六番札所となっていて毎年お参りの人たちで賑わっています。


 

六地蔵様

六地蔵様とは、お釈迦様の入滅後から弥勒菩薩様が出世するまでの無仏時代に出現し、六道のすべてに姿の現すことのできる唯一の菩薩であり、六道のすべての生き物を相手に教えを説き、救いの手を差し伸べてくれると信じられています。亡くなった肉親・知人たちが、六道のどこに生まれ変わっていようと、その人を救って頂けますようにと願って六地蔵様が作られました。

<六道>

禅林地蔵 地獄道 罪悪を犯すことによって受ける責め苦。

牟尼地蔵 餓鬼道 貪欲な嫉妬によって引き起される苦しみ。

護讃地蔵 畜生道 自分を反省しようとしない愚かさによって受ける苦しみ。

諸龍地蔵 修羅道 争って、他者を打ち負かそうとする事によって受ける苦しみ。

伏勝地蔵 人間道 身体と生活にまつわる苦しみ。

伏息地蔵 天 道 快楽に満たされても、必ずそれを失う苦しみ。